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このページは会員の投稿ページです。お仕事のPRやテニスへの思いなど、会員やHP読者の皆様に知ってほしい事等があれば、理事会にお申し出下さい。掲載させていただきます。

  

以下は全日会員の大木誠一様よりのご投稿です。

 

                     お酒がご縁のテニスとカルチャー

                       全日会員 大木誠一 2014.3.1

 

 

Ⅰ:お酒が大好きです。

それも醸造酒、特に清酒がなんといっても一番。

ぜ清酒かといえば、同じ銘柄、同じ種類であってもその年の造りによって、毎年千差万別の味わいが楽しめるため。 しかも清酒は1年酒が基本、古酒は別として製造の1年後には消費されていくというところがワインと違うところ。 年ごとに違う顔を見れるのが魅力のひとつ。

 

過去に印象に残っている清酒といえば、東京オリンピックの開催日に発売されたワンカップ大関。 田宮二郎とショーケンのCMは良かった。 私の利き酒「基準酒」もワンカップ大関。 その会社で仕事をすることになろうとは、ご縁が深いお酒です。

 

大学時代はアフタースキーの思い出。 ツアースタッフの差し入れ酒が、三重の「吟醸 黒松 翁」。 すっきりした味わいは、当時幻の酒といわれていた「越の寒梅」よりも美味しかった記憶があるお酒。あの時のスタッフメンバーとは、その後音信不通。 又一緒に飲みたいものです。

 

そして新入社員時代。 甘口清酒が大好きで横浜で住んでいた頃、よく飲んだのが愛媛の「純米原酒 梅錦」。 住まい近くの三ツ沢公園で毎年花見の宴会があり、各自好みのお酒を持ち寄り盛り上がったことが鮮やかに蘇るお酒、この時から原酒好きが始まりました。 なんたって清酒は原酒が一番。 出来立ての酒に手を加えていないため、酒の個性が良くわかります。

 

時代は下り、不惑とは縁遠く戸惑ってばかりいた40代に出会った、新潟「越の寒梅 大吟」。 当時、所属していた商品開発部の上司が、日本初の女性杜氏で吟醸博士といわれた熊谷知栄子先生。 先生発明の「熊谷流吟醸造り」は地酒メーカーの主流にもなっている優れた製造方法。

 

その上司が醸造研究所の室長をされていた頃の教え子が「越の寒梅」醸造元の息子。 その後社長になられてから製造した全てのお酒を上司に送ってこられたことで、私もご相伴に。 吟醸香は控えめ、含んだ時のふくらみのある味わい、それでいて後味の切れが印象的で本当にバランスの取れたお酒でした。 私の利き酒歴でも一番完成度の高い吟醸酒かな。 残念ながら市場にはまず出て来ない逸品ですが・・・。

 

ちなみに利き酒のコツをよく聞かれますが、ポイントは基準となるお酒の味を覚えこむこと。 基準酒がないとその場の環境で評価がぶれてしまいます。 基準酒は日常的に飲まれているお酒で充分。特別なお酒は必要ありません。 同じお酒を冷やしたり常温で飲んだり燗をしたり、いろいろな飲み方をして味を覚えこみます。 それによりお酒のベロ(舌)メーターを鍛える訳です。

 

さて、お酒は人と人との出会いの場には欠かすことのできない愛すべき飲み物。心を開いて語り合えば何より楽しいし、素晴らしいご縁も始まります。よく言われますが、お酒の飲めない方は人生の幸せの半分を損しているとか。 ということは、お酒の飲めない方は人とのご縁も半分しかないってこと?

 

最近ショックだったのは大関の「辛丹波」をこよなく愛してくださった大先輩が事故で急死したこと。 もう二度と酒を酌み交わせないなんて・・・とても寂しい。

 

清酒の話はこのへんで、又の機会があれば・・・。 現在趣味にしているテニスや俳句や書道を始めることになったきっかけは、すべてお酒の席。それも計ったように何れもほぼ15~16年前の出来事。

  

Ⅱ:まずはテニス。

松浜テニス倶楽部とのお付き合いのきっかけは、ご存知の青柳佳代さん。青柳さんとの出会いは16年前、とある食文化研究会主催の酒席「味の会」でのこと。たまたまゲストとして来られ、隣の席に座っておられた清楚な女性が青柳さん。盛り上がった席でテニスの話となり、遊び半分でしか齧ったことのなかった私を「一緒にテニスどうですか」と誘っていただいたことがきっかけ。

 

あのときのお酒は高知の「大吟醸 土佐鶴」。 いやあ、美味しかった!お店の在庫を全て空けてしまい、後で幹事であるお店の専務に大損したと言われちゃいました。

 

当時の松浜テニス倶楽部。

テニスをしながらお酒を酌み交わす場という雰囲気があり、その環境に甘えさせていただき、酒好きの私といえばテニスもそこそこに宴会モードにどっぷり浸っておりました。 飲酒運転絶滅が叫ばれている昨今ですが、当時はまだまだ大らかな時代。 青柳さんの紹介という心強い後ろ盾のおかげと、当時の在籍しておられた寛大な諸先輩の皆々様方には感謝、感謝です。 鬼籍に入られた「茂松大先輩」にもよく可愛がっていただきました。 そういう次第ですからテニスが上手くなるはずがありませんし、まあそのまま現在に至っている次第ですので、いやはやなんとも・・・。

Ⅳ:書道は、神戸酒心館(銘柄は福寿)の安福専務(現在は会長)と谷口香葉先生。

 

安福専務とは毎月お酒の会合で顔を合わせていましたが、15年前のとある席で小学校時代の習字の話になり、運良く町のコンテストに入選したことがあるという話をしたこと。 それを覚えておられ、数日後に「書道の練習会の見学に来ませんか」と。 業界の大先輩のお誘いはこれまた断れません。

 

当初は俳句と一緒で機会をみて抜ければいいと思っていましたが、紹介された谷口先生が美人で、しかも子供のような裏表のない素直で明るい性格の方。 お弟子さんもその性格を映したような方々ばかり。さらに練習後には、毎回その日のメンバーとの飲み会があり、それが楽しみで・・・。

 

谷口先生は、阪神書道会を始められた前川龍山先生のお弟子さんで「語らいの書」を始められた方。 童謡や唱歌の演奏と同時に筆を走らせ、終了と同時に作品を完成させるという素晴らしい才能の持ち主。 書家の作品というのは、何枚も書いた習作から気に入った一品を選ぶことが普通と思っていた私には衝撃でした。 日本の書家50人にも選ばれて中国の書家との外務省交流事業にも参加され、中国・敦煌の公園には先生の書かれた作品の碑が何基か建っているとのこと。 いつか敦煌に行き、先生の作品と再会したいものです。

 

練習嫌いはテニスと同様、熱心ではなかったですが、10年近く続けますと不思議なものでそれなりの力がつくようで。 先生には筆使いとともに筆の芯の使い方について繰り返し教えていただき、展示会では自作の俳句を作品に仕上げたことも新しい刺激でした。 最終的には阪神書道会から「太字4段」「細字3段」「かな2段」の資格までいただいてしまいました。 やはり「継続は力なり」ということでしょうか。

 

残念ながら「大関の長部二郎副社長(最後は相談役)」も「俳句の梅本豹太先生」も、「書道の谷口香葉先生」も鬼籍に入られてしまいました。本当に残念で、惜しい方々ばかりが早く亡くなってしまうようで・・・。

 

つらつらと思いつくままに書き連ねてまいりましたが、やはり私の人生にとってお酒はなくてはならないもの。 そのご縁が、今も人脈や作品となって残っているわけですからなおさらです。ご縁のあった方々には、本当に有難いことと感謝しています。

 

振り返ってみれば過去ほぼ40年間、1年365日、お酒の飲まない日はなかったなあと。これから先もまだまだ、お酒を通じて楽しい出会いやご縁が待っていると信じて・・・。

 

さて、今日はどんな方々との出合いがあるでしょうか。楽しみ! 楽しみ!

Ⅲ:次に俳句、意外と思われている方もおられると思いますが・・・。きっかけは16年前、当時大関の長部二郎副社長と俳人、梅本豹太先生。同じく宴席で盛り上がった勢いで引っ張り込まれた次第。副社長のお誘いでは断れません。 当初はしばらくお付き合いをして、機をみて抜ければいいかなと。

 

豹太先生は結社“沖”の「能村登四郎」先生のお弟子さん。現在活躍中の俳人「中原道夫」さんとは同門、そして女流俳人「大石悦子」さんともお友達。 又知る人ぞ知る口語俳句の達人「ふけとしこ」さんのお師匠さんでもあります。

 

最初に参加した句会でたまたま入選したのが運のつき、3回目の句会で特選を選ばれるというビギナーズラック。 根が軽いですから、才能があるのかもと大きな勘違い。 しかしそれから2年、全く入選できず大いに落ち込み、甘ちゃんだったことを大いに反省。 行ったことがなかった芦屋図書館で俳句の本をかたっぱしから借りまくって基礎から勉強。 結構高い俳句本の費用節約のための図書館通い。 それにしても練習嫌いの私としてはよく続いたものです。 3年後からぼちぼち入選句が出てきて、今はなんと俳句会の事務局と主宰を務めさせていただいている次第。

 

俳句に興味ある方にちょっと、アドバイス!句づくりのこつは俳句会に参加して他人の句を選句すること。 なんといってもこれが一番の早道。投句される方がおられますが、それは遠回り。 指導された梅本豹太先生からも「俳句は選句がもっとも大切」といわれ続けました。 他人のいい句を選べるようになれば、自然と実力がついていくということみたいです。 かの有名な高浜虚子先生も述べています、「選は創作なり」と。

以下は全日会員水谷泰正さまからのご投稿です。

渓流遡行

2014年7月1日

全日会員:水谷泰正

大阪市内の自宅から3時間ほど車で走ると、紀伊半島なら何処でもかなり奥深い山中に行き着く事が出来ます。

私が気に入っている渓谷は何カ所も有りますが、数年に亘って豪雨に見舞われたせいで、途中の国道や林道が崩れていて車で近づく事が出来ない渓が多くなりました。

6月19日木曜日天気が良さそうなのを確認し、早起きしてそんな渓の一つに出掛けました。

此の辺りは南北朝時代、大塔の宮が隠れ住んだと言われる大塔村の一角で、小学校の廃屋や無人の集落を越えると間もなく林道が崩れていて走行不可となります。此処で自転車に乗り換えます。

自転車で林道の行き止まりに達すると、其処から渓に入ります。

滝に行き当たっても大抵はよく見ると横に細い獣道が有り、それを巻いて更に滝の上に出る事が出来ますが、時には登攀不能な崖に挟まれていて、首迄流れに浸かるか、泳いで向こうに渡るしかありません。この日は例年になく水量が少なく泳ぐ必要は有りませんでした

2時間余り遡行して、最後に行き着く所は長い時を経て大水の出るたびに滝の力が大きな岩に穿った孔が洞窟となりその中に流れ落ちる滝です。シーンとした静けさの中、ただ滝の落ちる響きと渓流の絶える事の無い流れに聞き入りながら弁当を広げ缶ビールを飲み干します。此の滝を更に登る為には本格的な登攀装備やロープが必要でこれ以上上流へ遡行した事は有りません。兎に角岩の表面が滑りやすく、手掛かりの無い崖の連続です。何時か息子と登ってみたいと思っていますが、今の所息子は全く渓谷には興味が無い様です。

帰り路、峠を越える頃丁度夕陽が山陰に沈もうとしていました。

浮き世の憂さをすっかり忘れ、あの娘の事も嫁さんの事も全部忘れて、山の神々に見守られながら今日一日を静かに過ごす事が出来ました。

自然を残してくれた先人に感謝です。 -END-

此れが今日の釣果。天然のアマゴが7匹。私としてはまあまあの手応えでした。塩焼きにして食べると絶品です。

以下は平日会員 青木 健治さまからのご投稿です。2014.9

山上参り(大峰登山)と登山口“洞川”

場所は奈良県吉野郡天川村洞川、紀伊山脈のほぼ中央に位置し、

   登山口洞川の村と山岳宗教の修行場として、

又、観光登山として山上ヶ岳(大峰山)を紹介します。

平日会員 青木 健治

紀伊山脈のほぼ中央に位置する山上ヶ岳は昔から‘‘大峰山‘‘と呼ばれ、登山道はユネスコ世界遺産の“紀伊山地霊場及び参詣道(逆峰=吉野より熊野)”の一部になっている。

 

役小角(えんのおずぬ・役行者)が開祖、不動明王、蔵王権現などが祀られ、自然信仰を基に神仙思想や道教、仏教を信仰する多くの山伏達がほら貝を吹きつつ、表の行場(西の覗き、鐘掛け岩)、裏の行場(蟻の戸渡り、胎内くぐり、賽の河原)等々、大峰山は本来、修験者の厳しい修行の場であり、昨今珍しく‘‘女人禁制‘‘の山として知られている。

​女人結界門

洞川全景

登山口になる洞川(どろがわ)の村は両親の郷里であり、私も小学生の時大峰登山(一般に“山上参り”という)をした、行の一つ“西の覗き”は150Mの崖っぷちに、上半身を投げ出され“親孝行するかっ!ちゃんと勉強するかっ!と最後に崖下に下半身まで投げ出される!!!うっわっっ!!!と、必死の思いで、はいっ!!はいっ!!と叫んでいた、もちろん先達が付き、両肩に太いロープをたすき掛けにして身体を確保してくれているのであるが・・・・。

 

洞川(どろがわ)の村は夏でも涼しく、皇室の方が宿泊された宿もあり、登山、避暑、川遊び、キャンプ等レジャー客や大阪を中心とした小・中学校の夏季林間学校としても多くの生徒を迎えている。今は大阪から車で2時間ぐらいで行ける。温泉、茶がゆ、川魚(あめのうお)料理、豆腐、ごろごろ水(名水100選)、陀羅尼助(だらにすけ・漢方胃腸薬)など、観光資源は多くはないが満天の星!!一番美味しい空気!!大自然の中でリフレッシュは間違いなしです。

 

余談であるが、陀羅尼助は胃腸の漢方薬だが、私が3歳の頃いつもの様に母親の乳を飲もうとし時、乳首がビックリする程“苦かった”、乳首に陀羅尼助(煉り状)を塗っていたのである、“赤子に乳離れさせる為”洞川では常識らしい、私はその時からキッパリ止めました! “良薬口に苦し”を身をもって経験した時です。

 

 

山上ヶ岳の隣、稲村ヶ岳も洞川登山口から2~3時間で登山でき、花の百名山(しゃくなげ)に指定されており、大峰奥駆道など360度見渡す事ができる展望台また観音峰は関西では珍しい本格的な全山展望や厳冬期の登山ができる。

 

洞川の隣村、天川村には、ハイカーに人気の高い“みたらい峡”、芸能の神様を祀った“天河大天社”があり歌謡、演歌、歌舞伎等大御所のお参りも多くされている。公共交通機関で行くなら、近鉄吉野線で大阪阿部野橋から下市口下車、奈良交通(バス)で洞川温泉まで、となる。

 

下市口には歌舞伎(義経千本桜)にも登場する“つるべ(釣瓶)寿司・弥助”店があり、800年の風格と懐石など鮎料理が堪能できる、美味しい店がある。いうまでもないが下市口駅から5駅ほど先に“桜の吉野”も有名です。

 

同じ関西圏でありながら奈良県の山間部にはあまり馴染みがありませんが、ここに紹介した場所は全て素晴らしい所です、昨今の登山ブーム、機会があれば是非訪れてみてください。

以下は全日会員 水谷泰正さまからのご投稿です。

加太の鯛釣り

2015.06.29   全日会員 水谷泰正

大石前理事長は大変な釣りキチで芦屋近辺の岸壁釣りを始め和歌山、徳島へしょっ中出掛けて乗り合い漁船で楽しんでおられる様です。

 

昨日28日の日曜日は以前からお誘い頂いていた和歌山県加太漁港沖の鯛釣りに同行しました。

小生いかにも道具が多くてメンドくさそうで、金が掛かりそうな海釣りは此れまで敬遠していましたが、久し振りでもあり楽しみにしていました。

早朝午前2時40分大石邸集合と言う事でしたが案の定、念入りに仕掛けた筈の目覚まし時計の音に気付かず偶然にもその2時40分にふと目覚めた女房に、アンタ何してんの!と大声で起こされて跳ね起きました。直ぐに大石さんに電話し、大石邸でなく高速の泉南で待ち合わせをお願いし、殆ど寝巻きのまま車で飛び出しました。

 

湾岸線をぶっ飛ばし幸い途中で大石車に追いつき、無事加太港の漁船出港に間に合いました。

 

全国梅雨で大雨被害が報じられる中、天気は上々、多少の波もあり釣り日和でしたが、結局3人中

鯛は一匹も上がらず、小生が奇形の怪魚コブダイを釣ったのは悪い冗談としか言えません。

見るからに不味そうで記念撮影後すぐ海に戻しました。

 

  

 

   終了の午後2時迄に鯛こそ釣れなかったものの、大石さんは

見るからに身の締った中型メジロ一匹、 大石友人は75センチの

大型ヒラメとこれまた船頭も見た事ないでと言う位の大型高級魚

アコウを一匹釣り上げて意気揚々と帰宅されたのでありました。

 

 

​2018.1.28 全日会員 水谷泰正

​以下は全日会員 水谷泰正様よりのご投稿です。

2018年睦月 白馬スキー

 この数年若い時に熱中したスキーに再び目覚め、毎年雪山に出掛けるようになりました。

 

 昔は実はスキーよりもコタツの中で触れ合う誰かの素脚が楽しみだったものですが、今は本当にスキーとウイスキーを楽しんでいます。

 

 今回はテニス仲間を中心に、常に5、6人の連中が入れ替り立ち替り延べ10日間の合宿となりました

 当地は20年前の長野五輪の会場跡で、五竜、白馬、岩岳、栂池、白馬乗鞍、コルチナなど変化に富んだコースとパウダースノーが評判を呼び、ゲレンデやカフェで見掛けるスキーヤーの半数以上が外国人なのは様変わりです。

 

 松浜の皆様には朗報です。 昨年末古希デビューした私も初めて知りましたが、普通60歳位から適応されるシニアチケットになんと70歳から更にグランドシニアが適応され、殆どリフトは感覚的にはただ状態になります。こんなに老人が優遇されて良いのでしょうか。

 

因みにグランドシニアのその先は……、有りません。

 脚力強化の為クロカンコースにも出掛けノルディック10キロコースに挑戦しましたが、さすがに現役代表選手を輩出して居るだけあってコースは踏み固められており、勝手の違うエッジの無い細いスキー板で転倒する度に腰を強打し、首が軽い鞭打ちになるので1日でメゲました。

 処で、当地に二面の屋内テニスコートが新設されました。

 予約が必要なので満員を覚悟していましたが、いつでも好きな時間に取れました。一面利用料は照明代1時間200円のみ。皆んなで長野県に移住しましょう。

 霧の濃い一日は木崎湖に浮かぶボート小屋でワカサギ釣りを初体験しました。期待した入れ食いではなかったですが一人10匹ぐらい釣れたでしょうか。その場でピチピチ跳ねるやつを素揚げにして戴きです。此れが滅法旨い。

 

 こんな事をしながらあと何年遊び続けられるか知りませんが、兎に角不良老人になる暇は無いようです。

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